争うことは悪いこと?

民事裁判 弁護士

おはようございます。ちーたらのパパです。

先日、とある事件について、「被告が争う姿勢を見せている」と報じているyahooニュースの記事がありました。
これだけ見るとまるで争うことが悪いことのように見え、ちょっとミスリーディングではないかと感じたので、弁護士の視点から考察してみたいと思います。

裁判のニュースってよくわからない…でもニュースは中立的に見たい!

そんな風に考えている方の参考になれば嬉しいです!

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民事裁判の流れ

そもそも、民事裁判は、「貸したお金を返せ」とか、家賃を払わない人に対して「家を明け渡せ」というように、何らかの権利の実現を求めるために行われるものです。
そして、実際の裁判は、大まかにいうと、次のような流れで進行します。

≪補足≫

  • 訴状の送達
    原告が訴状を提出した後、被告の住所に宛てて、訴状が郵送されます。
    実務的には、被告が訴状を受け取ってくれないせいで、本当に被告が住所地に住んでいるかを弁護士が調査するなんていうこともあります…。
  • 弁論準備手続期日
    裁判というと、ドラマのように大きな法廷で裁判官と弁護士がやり取りするというイメージがあると思いますが、実際には、普通の会議室のような部屋で、両当事者の主張と争点を整理していくという形で進行するケースが多いです。この手続のことを弁論準備手続といいます。
  • 和解協議
    実際上は、弁論準備手続期日での両当事者の主張の整理と並行して、和解に向けた話し合いがされることが多いです。特に、両当事者の主張が出尽くしたタイミングと証人尋問の前後で和解が成立することはよくあります。

民事裁判に関する報道

民事裁判に関して報道がされるのは、和解や判決で結論が出たときのほか、訴状提出時第1回口頭弁論のときが多いでしょうか。

和解や判決などで裁判が終結した時の報道については、基本的に判決などの内容が報じられ、特に疑問のないところと思いますので、今回は、訴状提出時と第1回口頭弁論の報道について深堀してみたいと思います。

訴状提出時の報道

訴状提出時には、訴えられた側(法的には「被告」といいます。)が、「訴状が届いていないのでコメントできない」という報道がされるのが定番(?)ですね。

これはなぜか?

先ほどの図にもある通り、訴状というのは、あくまで訴えた側(法的には「原告」といいます。)が、自分の主張に基づいて作成し、裁判所に提出するものです。
なので、訴えられた被告側からすれば、原告が訴状を提出した時点では、まさにコメントの通り訴状を受け取っておらず、当然、訴状の中身もわからないわけです。

もちろん、訴訟前の段階で、紛争解決に向けた交渉が行われるケースが多いと思いますが、被告側としては、どの案件に関する裁判かは予想がつくとしても、訴状の中で原告がどんな主張をしているか(どんな根拠で何を求めているのか)まではわかりません。

以上の点からすれば、訴状提出時に被告側がコメントしようがないというのは、まさにその通りだと思います。
おそらく、報道機関としては、ある案件が訴訟にまで発展したという事実と、それに対する被告側の受け止めを報じる意図があるのだろうと思いますが、個人的には、訴状の内容を確認できていない被告側のコメントを報道することに意味があるのだろうかという気もします。

第一回口頭弁論時の報道

その次は、第1回口頭弁論時に「被告側が争う姿勢を見せている」といった報道がされることが多いですね。今回の記事もそうでした。
この点については、項を改めて考察してみたいと思います。

争うことは悪いことなのか?

報道機関の正確な意図はわかりませんが、「被告が争っている」という報道を見ると、「被告は反省していない」というような印象を与えるように思います。

でも、争うというのは悪いことなのでしょうか?

そもそも、原告の主張を認めるとどうなるのか?

そもそも、民事裁判において、被告が争わずに、原告の主張を認めた場合、どうなるのか?

民事裁判において被告が認めるということは、原告の請求を全て認めるということを意味します(法的には「請求の認諾」といいます)。
いわば、原告の主張を丸呑みすることになるのですが、要するに、原告の主張している事実関係を認め、原告が求めている要求に応じる(例えば貸したお金の返済を求める裁判であれば、原告の請求している金額の返済に応じる)ということになります。

この点をより具体的に説明するために、訴状には何が記載されているのかを説明したいと思います。もっとも、この点は少し込み入った内容ですので、読み飛ばしてもらっても構いません。

≪訴状の構成≫
法的に見ると、訴状には、請求の趣旨請求の原因というものを記載する必要があります。

  • 請求の趣旨は、例えば貸したお金の返済を求める裁判であれば、「○○円を返せ」など、原告の請求そのもののことです。
    ちなみに、法的には、請求の趣旨の記載内容は定型化されていて、「被告は、原告に対し、金○○円を支払え。」などという記載をしなければなりません。
  • 請求の原因は、この原告の請求を根拠付ける事実のことです。先ほどの例で言えば、「○年○月○日にお金を貸した」といった事実が記載されます。

報道において、原告の請求を認めるというとき、通常は、このうちの請求の趣旨を認めるということを指していると思われますが、その意味は、既に述べた通り、被告が原告の請求をすべて認めたということです。
そのため、第1回口頭弁論期日において被告が原告の請求を認めたときは、その時点で裁判は終結します

この通り、原告の主張を認めることは、非常に大きな効果をもたらします。
そのため、被告側(もっと言えば被告側の弁護士)としては、原告の請求を争うことはいたって普通のことだと思います。

原告の主張が全て正しいわけではない

既に述べた通り、訴状は、原告の主張に基づいて作成されるものです。
みなさんも会社やプライベートで、何らかの揉め事に巻き込まれたというご経験があるのではないかと思いますが、そのときのことを思い起こしてみても、一方当事者の言うことが全て正しいということはないですよね。
ましてや裁判にまで発展した事案であれば、原告と被告との主張が大きく食い違っているということはイメージできるのではないかと思います

この点からすれば、訴えられた被告側が、原告の主張にひとこと言いたいという反応になったとしてもやむを得ないように思います。

原告の主張は原告の評価が前提

さらに、原告の主張は、原告の評価が前提になっています
例えば、交通事故の裁判で原告が損害賠償を求めるといった裁判の場合、原告は、自身が依頼したディーラーなどの見積を前提に修理費や買替費用などの請求を求めます。
そこには自動車の時価評価額がいくらか、修理費がいくらかといった評価が伴います。しかも、原告には、少しでも自分に有利になるような評価額を出したいという動機が働きますので、被告側から見れば(場合によっては裁判官から見ても)、原告の主張する時価評価額・修理費の金額は正しいのだろうか、妥当なのだろうかという疑念が付きまといます

この意味でも、原告の主張が全て正しいとは言い切れないように思います。
そうである以上、被告の立場として、少なくとも第1回口頭弁論という最初の段階では争うという主張をすることは仕方のないことではないかと思います。

争っているからといって、責任を全否定しているとは限らない

既に述べた通り、請求を認めるということは、いわば原告の主張を丸呑みすることを意味します。
そういった大きな効果が生じる以上、たとえ被告側が深く反省していて、原告に対し一定の補償をしたいと思っているときであっても、まずは原告の主張を争った上で、その後の手続の中で適切な金額で和解に応じたいと考えているということは十分考えられます

また、実際問題として、第1回口頭弁論期日の時点では、被告自身、今後の方針を決め切れていないということもあるように思います。
上の図でも説明した通り、被告は、原告の提出した訴状を受け取って初めて訴訟の内容を知ることとなります。
しかも、この時点では既に第1回口頭弁論期日の日程が決まっていますので、第1回口頭弁論期日まで時間がなく、今後の方針を決めることができていないというケースもままあるように思います。
こうした場合、被告側、特に被告側から相談を受けた弁護士としては、「とりあえず第1回口頭弁論期日では原告の主張を争っておいて、今後の方針は次回期日までに考えましょう」という戦略を取ることは十分考えられることではないかと思います。

小括:民事裁判では争うことは普通のこと

以上の点からすれば、第1回口頭弁論期日において被告側(特に被告側の弁護士)が争うという主張を行ったからといって、直ちにそれを非難することはできないのではないかと思います。
確かに、社会の耳目を集める事件などでは、被害者である原告側が気の毒なケースも多いので、道義的に考えて、訴えられた被告側は否を認めるべきだ、争うべきではないという気持ちもあるかもしれません。
でも、僕個人としては、被告が争っていること自体を非難したり、敢えてそれを強調するような報道の仕方は適切なのだろうかと感じてしまいます。

≪民事裁判の実際≫
ところで、裁判というと、リーガルハイなどのドラマの影響で、お互いの弁護士が主張をぶつけ合って相手の主張を論破するというイメージがあるかもしれません。
しかし、民事裁判、特に第1回口頭弁論期日では、原告側の弁護士のみが出頭し、「訴状を陳述します」と言うだけでおしまいというのがほとんどです。拍子抜けですよね(笑)
こうした対応がなぜ許されるか、法律の観点から解説すると、第1回口頭弁論では、被告側は、事前に答弁書という書面を提出しておけば、被告が出頭してその書面の内容を述べたのと同じように扱うという制度があるからです(法的には「擬制陳述」といいます。)。

さらに、第1回口頭弁論に続く弁論準備手続期日においても、基本的には、原告側・被告側の弁護士同士で書面のやり取りが行われ(弁護士同士での議論や裁判官からの質問などが行われることもしばしばありますが)、その後は次の期日の調整が行われるだけということが多いです。

尋問時においては、弁護士同士、あるいは弁護士と当事者本人との間で熾烈なやり取りが行われることもありますが、基本的には、民事裁判は淡々と進むことが多いかなと思います。

刑事裁判の場合

一方、刑事裁判では、ちょっと事情が異なるように思います。

刑事裁判では、第1回の裁判(正確には第1回公判期日)で罪状認否という手続が行われます。これは起訴された事実関係について認めるかどうかを被告人に確認する手続です(ちなみに、民事裁判では訴えられた人のことを「被告」というのに対し、刑事裁判では「被告人」といいます。)。

そして、刑事事件では罪を争うか、罪を認めて情状酌量(反省しているなど)を主張するかのどちらかの戦略が取られるのが通常だと思います。
理屈上は、「私は無実です。でも、念のため情状酌量のための事実も主張しておきます」ということも考えられますが、通常こういう戦略はとらないわけです(もしかしたらそういう戦略を取る弁護士もいるかもしれませんが、僕は、あまり聞いたことがありません)。

なので、刑事裁判では、民事裁判とは異なり、第1回の裁判で罪を認めた上で情状酌量を主張するというケースは多いです(平成22年の統計では、否認率(すなわち罪を争う事件の割合)は7.2%だそうです。)。
そのため、第1回の裁判で被告人が罪を犯したことを認めるかどうかがはっきりしますので、第1回公判期日において被告人が争ったかどうかという報道をすることには一定の意味があるのかもしれません。

翻って考えると、こうした刑事裁判についての報道と同じように、民事裁判でも被告が争っているという報道がなされているのかもしれませんね。
しかし、既に述べたように、民事裁判においては第1回口頭弁論期日で争うのは普通のことで、被告が反省しているかどうかとは関係のないケースも多いと思いますので、被告が争っていることをあえて報道することには少し違和感があります。

まとめ

以上、民事裁判の報道に関して感じたことをまとめてみました。

ニュースなどで報道されるような社会の耳目を集める事件では、加害者のことが道義的には許せないと感じることもあると思いますし、僕も一市民としてそのように感じることはあります。
でも、たとえそうだとしても、事実関係やそこに至った背景などについては冷静に見る必要があるのではないかと思います。

いつになくお堅い記事になってしまいましたね💦
今回の記事が、冷静に、中立的にニュースを見たいと考えている方のお役に立てば幸いです。

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